慶應義塾中等部 部長 斎藤先生からのメッセージ
慶應義塾中等部を訪問してきました。
少々読みづらい箇所もあるかと思いますが、言葉の奥に含まれた意味までお伝えするため、
会話そのままの文章としました。
話し手:慶應義塾中等部部長 斎藤慶典先生(右)
聞き手:学習教室キートス塾長 遠藤佳映(左)
2008年7月17日 慶應義塾中等部部長室にて
第1部 慶應義塾中等部ってどんな学校?
「男女共学」と「自由」
遠藤 まず始めに、慶應義塾中等部(以下、中等部)の、他の私立中学にない特色・魅力についてお聞かせください。
斎藤 そうですね、やはり創立された時期が学校の特色に反映していると思います。ご存知のように普通部は大変古いですし、湘南藤沢はおよそ15年という若さです。それに対して我々中等部は戦後すぐの1947年に創立されました。戦争が終わったのが1945年の夏ですから、一年間の準備期間を経て、早速その新しい学校制度の下で動き出したわけです。中でも大きな特徴の一つは、戦後初めて導入された男女共学ですね。共学の中学が慶應義塾に必要だということで、中等部がトップバッターとしてその任務を担ったというわけです。ですから、そういう新しい戦後教育を慶應義塾で実践するための実験校というのでしょうか、そういう性格があったと思います。
遠藤 なるほど。中等部は日本における「男女共学」、「女子教育」といったものの先駆け的存在でもあるのですね。
斎藤 はい、おっしゃる通りです。そして、中等部のもう一つの大きな特徴として、戦後民主主義を支える基本理念としての「自由」というものが挙げられます。とは言え、日本の学校制度の中で「自由」ということが一つの教育の理念として語られたことというのは、それまでには無かったのではないかと思うんですね。戦後日本は民主主義という新しい政治体制に移行するにあたって、その民主主義の理念を身に付けた若い人達を育てなければならなかった。そして我々の先輩は「その民主主義の中核にあるものはなんだろうか」と考えた時に、それを「自由という理念」ではないかとしたわけです。中等部は創立当初から「自由」ということを一番強く意識し、また教育に反映させようとしてきた学校だと思います。
遠藤 なるほど。そうやって中等部の「自由」という理念が誕生したわけですね。
斎藤 はい。ただ、戦後日本にとってもそうでしたが、我々慶應にとっても、その「自由」を教えるのが大変だったのです。一口に「自由」といっても、何をどう教えれば良いのかというのが全然無いわけですから、これを巡って随分創立当初の教員達が苦労しながら、生徒たちと共に「その自由を実現するにはどうしたら良いのだろう」、あるいは遡って「自由ってなんだろうね」といったことを一緒に学んできました。これが、中等部の一番の特徴なのではないかなと思っています。
遠藤 多くの受験生たちにとっても、その「自由」というものが中等部の大きな魅力であることと思います。では、その「自由」の具体的な内容ですが、中等部には校則がないと伺いました。非常に興味深いのですが。
斎藤 そうですね、おっしゃって下さったように、校則というものを敢えて掲げないというのも、この自由の実現の一つの形態だと思っています。もちろん、そうは言っても、全くルールなしで学校のような組織が運営できるわけではありませんので、守るべき最低限のことですとか、留意したいことなど、僅かですがいくつか文章化されているものはあります。ただそれも、校則という形は取りませんで、あくまで「共同生活をする上で最低限留意したいこと」というような位置付けをしているわけです。
遠藤 本来、組織におけるルールはそれで十分なはずですよね。何がしていいことで、何がしてはいけないことかといったようなルールを全て文章化しようとすると、これはいけない、あれはいけないって、列挙しなくてはならなくなって、膨大なものになってしまいますね。それから当然時代が変わっていくと、かつては良いとされていたものも良くなくなるとか、またその逆も起こりえますし。
斎藤 はい。むしろ中等部が考えたのは、学校生活の現場というのは刻一刻と変わっていくものですから、その場その場でまずは生徒自身が「これが慶應義塾の中学生として相応しい行動かどうか」を自分で考えて、自分で判断するような教育をしたいということなのです。我々が生徒によく言っているのは、「自ら考え、自ら判断し、自ら行動して、その結果に責任を負う」、言葉で言えばそんな形になります。もちろん、子供ですから、分からないっていうことがいくらでも出てくるわけで、その場合は教員も一緒に考えようと。教員もやっぱり分からないことは当然あるわけです。そこで「最近の若い人達はこう考えるんだな」と。「しかし我々はそう考えてこなかった」と。「じゃあどうしようか」という形で、生徒と教員が一緒に考えるということを基本にしてきたと言ってよいと思います。
遠藤 そうすると、何か生徒会のようなものが主体となって色々な物事を決めたり、話し合ったりするという形を取っているということでしょうか。
斎藤 そうですね、たまたま今日がその「生徒会総会」の日なのですが、大学の西校舎の大ホールを借りて、一年生から三年生までの中等部生全員が集まり、色々議題に対して意見を出し合う機会があります。普段は各クラスから選ばれた委員が毎月のように集まっているのですが、全校生徒が一堂に会するのはこの夏休み前と冬休み前の年二回です。そこで生徒達の学校側に対する要望というようなことが審議されたりします。最近ですと、今中等部では認めていないのですが、「携帯電話を持ってくるのは良いのではないか」とか、「こういう格好(服装)は良いのではないか」とかですね、色んな要望が生徒達から出てきまして、それを部長である私が生徒会の委員長から受け取りまして、教員会議に下ろして、必ず教員会議で審議を経た後に、生徒達に回答をするというようなことをやっています。
遠藤 生徒全員での総会というのは非常に面白いなと思うのですが、意見をまとめていくのも大変ですね。
斎藤 そうですね、確かに難しい側面もあります。ある種、形骸化する可能性もありますし、子供ですから遊び半分でパフォーマンスの場に使ってしまうということもあります。ですが、やはり民主主義の基本は議論ですから、議論する場というものの必要性と大事さを子供達に学んでもらいたいという想いからも、生徒会総会は大事にしている行事の一つです。
教員は「先生」ではなく「さん」付け
遠藤 これまでにも随分お話頂きましたが、慶應義塾の一貫教育において、中等部と他の学校には何か違いのようなものもあるのでしょうか。
斎藤 はい。中等部の他の学校には見られない特徴として、生徒達が教員を「さん」付けで呼ぶことが挙げられます。私ですと「斎藤さん」といった具合です。慶典という名前はケイテンと音読みできますので、「ケイテンさん」とかですね。こういう形で生徒達が教員を「さん」付けで呼ぶというのは、創立当初からの習慣だそうです。これはお二人もご存知のように、大学には違う形で福澤時代の名残が残っていますよね。休講の掲示板とかにですね、「『誰それ君』休講」というように出ていますよね。
遠藤 慶應義塾では、「先生」というのは福澤先生だけで、その他は皆「君」付けで呼んでいますね。
斎藤 はい。中等部ではその精神を少し形を変えて継承したことになります。教員も生徒も立場こそ違えども、一つのこの学校という場で共に学びつつ成長していくと。これを慶應義塾では昔から「半学半教」と呼んでいたそうですが、教員と言えども教えることだけしているわけではなくて、やはり子供と一緒に学んでいくんだという考え方ですね。それを呼称に反映させたのだろうと思います。今では珍しくないのかもしれませんが、中等部には創立当初から教室に教壇がありません。これも生徒と教員が、教え学び合うという意味では同じ立場にいるのだから、どっちが上でどっちが下ということは無いんだという精神に基くものです。
それから、創立当初中等部の中心には、大学の文学部の国文と国史の先生方がおられました。その一人が、池田彌三郎さんです。池田さんも銀座の老舗天ぷら屋「天金」のお生まれですから、一種の町人気質というのでしょうか、ある意味で権威を軽蔑するような精神をお持ちだったことと思います。そのような精神はもちろん福澤にもあったはずですよね。門閥制度は親の敵と言ったそうですから。そういう反権威主義の一つの表現の仕方だったのではないでしょうか。「別に教員というだけで偉いわけじゃないよ」というのを生徒に直接教えたいという意味もあったのだろうと思います。いずれにせよ、普通部や湘南藤沢やその他の学校を見ても、やはり教員のことは「先生」と呼んでいますし、それはある意味で日本の常識でもあるわけですから、そこを敢えてずっと「さん」付けで通してきたというのは、中等部の大きな特徴かもしれませんね。
遠藤 実際に「さん」付けで呼ばれているのですか。
斎藤 はい、そうです。是非今日生徒達をご覧下さい。始終彼等は教員室に入ってきますけれども、いつも出入り自由になっています。試験前の試験問題を作っている期間中などは、扉に「今入れません。」ということが書いてありますが、それ以外は自由なので、結構子供達は教員達に「さん」付き合いして、教員室にもゾロゾロ入ってきます。
遠藤 そうでしたか。大学での「君」付けを単なる「謂れ」だと考えていた私にとって、それは大きな驚きです。伝統を継承するとはこういったことを言うのですね。失礼しました。
受験生、そして保護者へ
遠藤 中等部を目指して頑張っている受験生やその保護者の方々に期待することにはどんなことがありますか。
斎藤 そうですね、やはり小学生といえども、自分の進みたいと思っている学校に関しては自分で色々調べて、この学校に行きたいとか、周りに流されない自分の判断が持てるような子、そして親でいて欲しいなと思っています。というのも、お二人とも受験の現場にいらっしゃるのでよくご存知だと思いますが、やはり偏差値によるランク付けというのが出ておりまして、「良い点を取った子はここに行くもんだ」というようなある種の受験界の常識みたいなものが出来ているのではないかと思うのです。
遠藤 おっしゃる通りかもしれません。中学受験・中高一貫教育といったものがブームにまでなっている昨今において、「とりあえず受験」といったご家庭が増えているのも事実です。そして、そうしたご家庭にとって、志望校を決める上での材料・指針が「偏差値」になってしまっています。相対的評価値である偏差値を無視することもできませんが、それにとらわれ過ぎて、本来の目的を見失ってしまう親子が多いというのは現代社会の問題の一つだと考えています。
斎藤 非常に残念なことです。ですから、受験生そして保護者には、そういうものに振り回されないで、「本当にここで勉強したい」、あるいは「慶應義塾で勉強したい」という人達であって欲しいなと思っています。そのためには慶應義塾なり中等部なりが、どんな教育をしているのかということを是非事前によくご自分で調べていただきたい、見ていただきたいと思っています。
遠藤 分かりました。その他、保護者に何かメッセージなどはありますか。
斎藤 そうですね、まず特に中等部は他の慶應義塾の各校と比べても、保護者を大事に考えているのではないかと思います。大事というのはどういう意味かと言いますと、生徒の成長、あるいは学校生活にとって、学校側の教員だけではなくてその保護者も、言わば「生徒を中心にして一緒に手をつなぐ仲間」だと考えているのです。特に中学生ですと、生活面の指導というのは学校だけではとても及ばないところがありますので、教員と同じ側に立って、生徒と向かい合って欲しいという姿勢は非常にはっきりしていると思います。ですから、何かちょっとした出来事があると保護者に学校に来ていただく頻度は、もしかしたら他の学校より多いのかなという気はします。
遠藤 それは定期的な保護者の集まりとは別にという意味でしょうか。
斎藤 はい。もちろん保護者会はあります。それはどこの学校でもやっていることだと思いますが、それ以外に何か指導上の問題が発生した時に、保護者の方々に来ていただくことが結構多いのではないかなと思います。それは担任レベルと話し合っていただくものから、私と主事と生徒本人と保護者とで話し合うといったものまで様々です。
慶應義塾中等部と中学受験塾
遠藤 昨今、中学受験はブームと呼ばれてしまうくらいに加熱傾向にあります。そうした中で中等部に合格するために通塾(学校以外の学習)というものが必要であるとお考えですか。また、もしそうだとした場合に、中学受験塾に出来ること、あるいは中等部として中学受験塾に期待することなどがありましたらお聞かせ下さい。
斎藤 そうですね。現在の特に公立学校の教育の現場、あるいは現状を考えますと、やはり学校の勉強だけでは厳しいと思います。もちろん全てがとは言いませんが、全般的な傾向として、私達が生徒に要求したい水準には達していないと思わざるを得ません。受験生たちには、やはり学校並びに受験塾での勉強を通して、各教科の基礎的な学力はしっかり身に付けていただきたいと考えています。そういう意味では、今や学校だけではなくて、いわゆる受験塾という存在は不可欠になったと言っていいのではないかと思います。
それから、敢えて受験塾側に学校側からお願いしたいこととして、基礎学力の点はもちろんですが、いろいろな学校のそれぞれの教育方針やカリキュラムあるいは校風などといった、客観的で正確な情報を、子供達や保護者の方々に提供していただけたらと思います。それを基に、単に偏差値だけではなく、自分の子供にとってこの学校は合っているのかというのを是非考えていただきたいと思います。
遠藤 率直なご意見、ありがとうございました。「基礎学力」と「客観的で正確な学校情報」ですね。我々も責任を持って取り組んでいきたいと思います。
中等部生をバックアップする同窓会
遠藤 少し、お聞きしづらいことではあるのですが、よく一般に言われることの中に「慶應生=お金持ち」というものがあると思います。この点についてどのようにお考えですか。
斎藤 そうですね、やはり生徒たちが切磋琢磨していくことの出来るような仲間という面から考えても、私たちが何よりも必要としているのは「優秀な人材」ですから、お金持ちの子弟しか入らないというのは好ましくないと考えています。ただ、教育にはとってもお金がかかる。良い教育をしようと思えば思う程お金がかかる。これも間違いない事実ですので、お金がかからないようにするという発想ではなくて、やはり教育にはお金がかかるものなんだということはきちんとアピールしても良いのではないかと考えています。その上で、今大学も盛んに動いていますが、良い人材を広く求めるためには、学費の半減・全額免除といった、いわゆる奨学金制度を充実させる必要があるのも間違いのないところです。これは慶應義塾当局レベルにも要望していくつもりですし、中等部としても何か対応できないかなと考えています。一つに、中等部には非常に強力な同窓会組織がございます。入学後、さまざまな事情で家計が急変し、学費納入が困難になってしまうという場合があります。このような場合に、中等部には全額なり、半額を免除する奨学金制度がありまして、これは実は同窓会がお金を出して下さっているのです。こうした制度をいろいろな面でさらに拡充してゆく努力を怠ってはならないと考えています。
遠藤 やはり同窓会は慶應義塾にとって、色んな意味で無くてはならない存在ですね。
第2部 慶應義塾中等部部長の斎藤先生ってどんな人?
「慶應義塾大学文学部教授」・「哲学博士」・「慶應義塾中等部部長」という肩書き
遠藤 斎藤部長は、中等部の部長と、大学・大学院教授も兼任なされていますね。慶應義塾の他の学校の部長にも兼任なさっている方々が多いように思いますが、その点についてどのようにお考えですか。
斎藤 そうですね、一貫教育という観点から、特定の中学段階とか高校段階というものに限定されないで、最終的に大学を出るところまで見越した上で、子供達にどういう教育が必要かということを考える。広いと同時に、時間的に長いスパンで教育を考えるという意味では、中学の現場からちょっと距離のある人間が部長にあたるというのはそれなりにメリットがあると考えています。もちろん何事も一長一短で、マイナスの側面もございまして、それは言うまでも無く、大学教員ですから中学の教育の現場を知らないわけです。直接はタッチしていないわけですから。その点では例えば、普通部の能條先生のように、現場からずっとやって下さった方が部長になられるのは、当然メリットがあるわけですね。中等部の場合も現場の教員が部長になったことももちろんありますので、これもケースバイケースです。そして、今の私のように大学の教員が来て部長となった場合に大事なことは、主事(教頭職にあたります)との連携プレイだと考えています。主事は間違いなく現場の教員がなりますので、この連携が上手く機能すれば、より広い視野で中学教育というものを見ることができる。その他、もう少し現実的な話で言えば、慶應義塾当局との折衝がしやすいということがありますね。現場のさまざまな声を塾当局にすぐ要望することが出来るといったメリットは確かにあると思います。
遠藤 なるほど。斎藤部長が実際に中等部の生徒に何か講義をするような機会もあるのでしょうか。
斎藤 はい。選択授業というのが2・3年生にありまして、火曜日の午後の2コマを使っていますが、これに私も出講しております。私の専門は哲学なものですから、中学生にどのぐらい出来るかなと思いながら、一つの哲学入門のような授業をしています。自分なりに考えてそれを人の前でしゃべってみて、批判を受けて、議論してみる、といった少人数のディスカッションの授業です。
遠藤 それは魅力的ですねぇ。自分自身の学校の校長先生による大学の授業を中学時代に体験することが出来るのは、羨ましい限りです。斎藤部長ご自身も中等部ご出身だそうですね。大学まで行かれて、部長として戻ってこられた今の斎藤部長からご覧になって、昔の中等部生と今の中等部生で何か違いのようなものは見られますか。
斎藤 そうですね、基本的に学校が自由というものを前面に出しているせいもあって、子供たちも非常にのびのびとこの学校生活を楽しんでいるなという印象は自分達の頃とは変わってないと感じています。これは中等部にとって大事なことで、中等部の同窓会の話を先程しましたが、皆中等部時代というものを大事にしてくれています。それはひとえにここにいた時が一番楽しかったからというわけで、これは今の子供達も基本的にはそう思ってくれているようです。中等部としても、これを大事にしたいと思っています。
遠藤 それは素敵なことですね。私どもの塾にも慶應義塾の出身の親御さんが多くいらっしゃいます。そして、やはり「子供達を慶應に」という形で預けていただくので、本当に慶應義塾に対する想い・結びつきは強いのだなと日々感じています。
斎藤 そうでしたか。やはり「卒業生が自分の子供を母校に入れたいかどうか」というのは非常に大事だと思います。
器・スケールの大きさ
遠藤 大学で実際授業をなさっていて、中等部に限らず慶應義塾の一貫校から上がってきた生徒達と大学からの生徒達との間に、何か違いのようなものを感じられたことはありますか。
斎藤 そうですね、やはりある特定の能力とか才能ですね。まだ十分には花開いていないとしても、そういった特定の能力や才能を秘めているといいますか、可能性として持っている。「この子はこれから鍛えればグンと伸びるかもしれない」というような器の大きさを感じさせる、あるいは将来が楽しみな生徒の割合が、確かに内部生の方にやや多く見られるかなという印象です。もちろん受験をして入ってくる生徒の中にもそういう子は当然いるのですが、割合とそのスケールの大きさと言いますか、そういう意味で、「この子はとても面白いし、なかなかの大物になるかもしれないけれど、大学受験をさせていたら入ってこなかったかもしれない」という生徒を目にすることがありますね。もちろん逆の一貫教育のマイナス面というのも確かにありまして、内部で長い年月を過ごすことによって、ある種の「要領」は身に付け、それだけで生きていってしまうような子供達が他方で見られるのは残念なことです。そういうプラスマイナス両方の違いを一貫教育上がりと大学から入ってきた学生達との間に、程度の差はありますが、確かに感じることはありますね。
遠藤 なるほど。面白いですね。私自身の在学時代を思い返してみましても、一目見ただけで、あるいは、少し話をしただけで、その子が内部生か外部生かということを、ある程度判断出来た記憶があります。だからと言って何というわけでもないのですが、その漠然とした「器の大きさ」・「スケールの大きさ」といったものは非常によく理解出来る気がします。
少し第一部と同じ内容になってしまうかもしれませんが、お尋ねします。斎藤部長は、ご自身が慶應義塾中等部をご卒業になられましたが、その中等部に部長として戻ってこられた際にお感じになられたことはありますか。
斎藤 はい。私の記憶でも、確かに自分が中等部の生徒になった時から、先生達にあ~だ、こ~だと色々言ってもらったことをよく覚えています。その時はまだ中学生だからよく分からなくても、それを改めて大人になって考えてみて、「先生達はこういうことを一緒に考えようとしていたんだな」と段々分かってきたことが沢山あります。つまり、教育というのはすぐに成果が出るものではなくて、長い目で見なくてはなりません。そして年齢が下になればなるほど、その長い目で見て本当に生徒の身に付くような種をしっかりと蒔いておくということが、教育にとって何よりも重要なことなのだと改めて実感しました。そういった意味でも、これまで中等部がやってきたことは間違っていなかったなと個人的に感じています。そして、教員も多くが世代交代をしましたし、多少時代と共に薄れてきてしまったこともあるのではないかと感じることがありますので、中等部の当初の教育理念が十分に伝えられているか、改めて伝えるべきものはきちんと伝えるというのが、出身者である自分の一つの仕事なのかなと考えています。私達の頃は戦後出来たばかりの中学でしたから、老舗の普通部といつも比べられて「若い若い」と言われていた中等部ですが、創立60周年を過ぎましたので、そろそろ守り伝えぬくことというものをはっきり意識した方が良いのではないかと。それをきちんと伝えること、あるいはそれをより程度を高めて次の世代にバトンタッチすること、そのような責任を非常に重く感じました。
遠藤 なるほど。出身者である斎藤部長ならではの伝統の継承、そして学校改革。ご活躍を心よりお祈りしております。
卒業生として、母校として、とても大切な学校
遠藤 斎藤部長はいつ頃から教員、あるいは教育者になろうと思われたのですか。
斎藤 そうですね。私自身はどちらかというと、教員というよりは学問をする方ですね、ウェイトがあったのは。なんらかの形で学問に関わっていけたらいいなというようなことを意識し始めたのは、高校から大学に進む辺りだったと思います。つまりは、大学の学部をどこにするか、将来どの道に進みたいのかという頃ですね。その大学に行って専門をどこに絞っていくかというようなことは、まだ高校の段階では分かりませんでしたけれども。やはり大学時代、大学院時代にそういう学問の場にいますと、教員と研究者の選択を迫られる場面に何回か出くわすわけです。それこそ大学院生のある段階まで行った時に、例えば「慶應義塾の一貫校や外部のこういうところから教諭にならないかという話がきているがどうか」とか、そういう話を指導教授からいただくことがあったりするわけです。そういうときに、どっちを選ぶかなということはその都度意識してきました。最終的には「自分はやはり学問の方かな」ということで、幸い大学にポジションを得ることが出来たわけですが、その自分がこの中等部の教育現場に、しかも管理職として戻ってくるなんてことは考えもしなかったので、最初は随分と戸惑いました。果たしてお受けして良いものかどうかというのは随分悩んだのですが、先程も言いましたように、やはり卒業生として母校としてとてもこの学校を大事に思っておりましたので、何か役に立つことが出来るのであれば受けるべきかと思った次第です。
遠藤 そうでしたか。やはり運命のようなものがあったのですね。そんな斎藤部長の愛読書と言いますか、お勧めの一冊のようなものがありましたらお聞かせ下さい。
斎藤 実は、私には特に愛読書というものは無いんです。よく聞かれるので困ってしまうのですが、むしろ出来るだけ多くの本を読みましょうと生徒達には言っています。色んな種類の本を読むことは世界が広がることでもありますので、面白いと思ったら何でも手当たり次第読みなさいと言っています。他方で、これは私が中等部時代に先生から教わったことなのですが、「本というものは読めば良いというものではない」と。沢山読めば良いとか、速く読めば良いというものでもなくて、むしろあちこちでつっかえては「あれっ、なんでかな?」というように本から目を離して考える時間やチャンスを与えてくれるのも本で、そんな風に大いにつっかえながら、考えながら本を読むということがとても大事なのだと教わりました。いずれにしても、読んでみないことには始まらないので、まずは手当たり次第、何でもいいから色んなジャンルのものを読んで下さいという想いです。
遠藤 ありがとうございました。「若い時の読書は質より量」ということですね。分かりました。今日はお忙しい中、貴重にもお時間頂戴致しまして、誠にありがとうございました。斎藤部長の益々のご活躍と貴校の更なるご発展をお祈り申し上げます。