慶應義塾普通部 部長 能條先生からのメッセージ
慶應義塾普通部を訪問してきました。
少々読みづらい箇所もあるかと思いますが、言葉の奥に含まれた意味までお伝えするため、
会話そのままの文章としました。
話し手:慶應義塾普通部長 能條孝行先生(右)
聞き手:学習教室キートス塾長 遠藤佳映(左)
2008年4月21日 慶應義塾普通部第一応接室にて
第1部 慶應義塾普通部ってどんな学校?
本当の意味で将来的に役に立つ教育・教養を身につけ「本物」を見出す力を養う
遠藤 まず始めに、創立110年という伝統を持つ普通部の、他の私立中学にない魅力についてお聞かせください。
能條 よく言われることですが、やはり受験勉強がないということがまず挙げられますね。普通部で最も重んじられていることに、この時期だからこそ受験勉強ではない本当の意味で将来的に役立つ教育・教養を身につけてもらいたいという理念があります。普通部生の最終的なゴールは受験で大学に行くことではないわけですから、そうではない将来に渡る教養と知識を身につけてもらいたいと思っています。その環境が整っているということが、一番の魅力ではないでしょうか。
遠藤 一般に、義務教育下である中学生時代に多くの教養を身につけるという機会は少ないですから、そういった環境が整っているということは、将来においても自分の進みたい道を見つけ出す選択肢の幅が広がるということに繋がりますね。
能條 その通りですね。例えば、普通部では五教科以外の芸術教科の点数配分が全く同じという特徴があります。芸術科目や体育も、いわゆるお勉強と言われる科目と同じ扱いというわけです。つまり、普通部では基礎学力は基礎学力で身につけ、プラスアルファの教養を若いうちから身につける。そのスタートが若い時からでも良いのではと考えているということです。
吉田 私が普通部に通っていた当時も、理科のレポートやフィールドノートなどの課題に毎週何時間も取り組んでいた思い出があります。やはりそういった課題なども、受験勉強がない中で多くの教養を生徒に身につけさせたいという意図からなのでしょうか。
能條 そうですね。実験レポートの書き方や物事の観察の仕方を学ぶということも、いわゆる偏差値をあげるための勉強を中心にしているとなかなか出来ませんよね。しかし、普通部では受験がないですから、そういったことを徹底的に行うということが出来ます。ですから色々な選択の授業などにも力を入れており、専門の講師陣を数多く招くことで「本物に触れさせる」機会を多く作っているという点も大きな魅力だと考えております。
遠藤 受験勉強がなく大学まで進学できるという点を魅力として捉えられる方もいますが、やはり普通部としてはそれ以上に若いうちから高い教養を身につけていくことに重きを置いているということですね。
能條 はい、そもそも慶應義塾の中には附属というものはありません。つまり、慶應義塾の一貫校は大学の附属ではないということです。普通部は普通部で完結しており、それぞれが独立した学校なんですね。慶應義塾にふさわしい学力と教養を身につけるために普通部生は頑張っていますし、中には再修をしなければならない生徒もいます。ですから、確かにこの学校を卒業しますと高校に行く進級のチャンスと言いますか、カードは受け取れますが、基本的にそれは附属としてではないということですね。
普通部が求めている生徒像
遠藤 慶應義塾一貫教育における普通部の役割とは、どのようなものだとお考えですか。中等部・湘南藤沢中等部との違いの面からもお聞かせください。
能條 まず、慶應義塾の中の三校で言えば、普通部の揺るがないメリットとして男子の友達の数が圧倒的に多くなるということがあります。私の考えとしましては、普通部に来てくれている子供達は、男の子たちの中で三年間過ごしていくということに、ある意味で魅力を感じているような子が多いのではないかと思っています。
遠藤 多感な中学時代にある意味で女の子がいないのはバランスが悪いのではないかと思われる方もいらっしゃると思うのですが、その点はどのようにお考えでしょうか。
能條 確かに、そういったご意見もあるかと思います。しかしながら、男女平等の世の中で同じぐらいの男女がいる環境というものは常にみつけることができますから、逆にこの時期に男の子だけの学校という形であっても良いのではという気持ちがあります。と言いますのも、この時期だからこそ異性を気にせず、自分のやりたいことをやって欲しいという思いもあるからなんですね。ご存知の通り、普通部には労作展がありますが、それも生徒達が大作に打ち込む一つの伝統となっています。ですから、普通部としましてはそういう子に入ってきてもらいたいと思うと同時に、そういう子達が入ってきて普通部が成り立っているという特徴があるのだと思います。
遠藤 今のお話から普通部が求めている生徒像は窺えましたが、普通部としてはそういう子達に対してどのように成長していって欲しいとお考えなのでしょうか。また、どういった形でそれを実現させていらっしゃるのでしょうか。
能條 一言で言いますと、真の意味での「カッコイイ生徒」になってもらいたいと考えています。格好の良い生徒ですね。ですから、文武両道でスマートなという意味での、真の意味での慶應ボーイということでしょうか。骨の一本しっかり通った端正な人間、これを育てたいと考えております。そして、自らを律することが出来る人間、そういう人間になって欲しいと思っているんです。一つの例ですが、私の技術の授業ですが、やはり危ない道具などが沢山あります。それを一つ一つ言わなくても当たり前に行動が取れるような子達に育てたい。規則とまでは言いませんが、最初はもちろん簡単なことは伝えます。しかし、何をしてはいけないというような張り紙などはしません。そういったスタイルで、やはりスマートに子供達を教育していきたいということなんです。
遠藤 私自身、学習塾という場で子供達と向き合っているのですが、本当に「当たり前のことを当たり前にやってもらいたいな」と思うところがあります。それは教育の本質でもあると思うのですが、普通部としてはこれをどのようにして伝えておられるのでしょうか。
能條 そうですね、やはり今は社会に流されて少しずつ弱くなってはいますが、もう一つの普通部の大きな特徴として、仲間が仲間で律していくということがあります。これは吉田君なんかは肌で感じてきたことだと思いますが、逆に仲間同士で認め合うということもあります。そういった環境が出来てくると、教師が言わなくても生徒たちの中で常識のような、いわゆるコモンセンスが成り立ってきますよね。ですから、普通部としても、そういう形で位置付けていきたいと考えております。そして、これは色々なことでランクが付けられてしまうような受験勉強というものが無いからこそ出来ることなのではないでしょうか。
現在、1年生は1クラス24人、2・3年生は40人、後の学年になるほどそういうことは人数が多い方が良いですよね。自分や仲間を律することが出来る子が多い学校ほどそれが可能であり、優秀な学校になるとクラスの人数が多いという学校は多いのではと思います。色々な多様性の中で成長させてあげたいというような、皆同じ考えなのではないでしょうか。
保護者へのメッセージ
遠藤 保護者に関するお話をさせていただきたいのですが、まず普通部が保護者に期待することはどのようなことがありますでしょうか。
能條 ほとんどの保護者の方々は正直申しまして、この学校の役割、この学校の位置付けというものを理解して入って来られています。ですから、保護者にはもうこれだけで有難いなという気持ちがあります。慶應義塾には先ほどのお話のように、中等部、湘南藤沢などの学校があり、それぞれの学校にはそれぞれの役割があるわけです。例えば、湘南藤沢はコンピューターやIT関係に強いという点や、英語教育に力を入れているということがあります。また、中等部の場合には男女で和気あいあいとやっていくという伝統があります。そして、普通部はある意味で硬派、保守的で硬い学校という面があるんです。そういう役割や面があることに対し、例えば湘南藤沢の特質を持ち込んで、なんとかして湘南藤沢のようになって下さいと言われてもそれは少し難しい話であるということです。ですから、やはりそういうことを理解されている方々に来て頂きたいと思います。それが逆に伝統の重みだという風に考えております。
遠藤 同じ慶應義塾の中でも、それぞれの学校が独立した学校であり、それぞれの学校の校風を保護者の方々が理解するということも学校を選ぶ上で重要となるということですね。
能條 そうですね。それから、これは保護者に対する期待ということとは少し違うかもしれませんが、昨今の教育に関しては学校に任せられないという方が多いのですが、やはりそこは普通部を選んでいただいたからには信頼していただいて、お子様を我々に任せていただきたいということがありますね。
遠藤 保護者からの信頼を得るという意味でも、在校生の保護者の方達に普通部から何か働きかけていくというようなことは、多かったりするのでしょうか。
能條 特に働きかけというわけではありませんが、普通部にはPTAがない代わりに、部長が保護者会で保護者に対してお話をするということをしています。部長が自ら壇上に立ち保護者の方々とお話をするという機会なのですが、これは結構回数も多く、一学期に二回行うこともあります。ですから、保護者はどちらかと言うと部長をよく見ていらっしゃいます。また、やはり私がここの教師をやっていますから、授業の中でもいつも子供と接しているわけで、それも保護者には当然伝わります。そういう意味では意思の疎通は出来ているのではないかと思います。
学習塾の役割
遠藤 普通部の入試問題を見させていただくと、非常に良問が多く、頑張った子にちゃんと結果が出るような問題だなという印象を勝手ながら受けるのですが、普通部としては通塾(小学校以外での学習)をしないと普通部合格は難しいとお考えですか。
能條 理想論から申し上げれば、塾に行かなくても入ってくれるような子供達にむけて、こちらも試験問題を用意していると考えています。ただ、いくら学校がそのようにしていても、世間には競争率というものがあって、どうしても全員を許可してあげることができないということがあります。その部分で点数が絡んで出てきてしまう部分があるのだと思いますが、非常に難しい点ですね。
普通部を受験する場合には、「塾」というよりも、「サポートをしてあげるような教育機関」として、塾を捉えると言ったら良いのかもしれませんね。どちらかというと、受験勉強のためだけの塾ではなかなか難しいのかもしれません。ですから、その辺りが少し難しいのですが、普通部合格が通塾しないと難しいかと聞かれましたら、そうとは言えません。しかし、だからといって、塾はいらないのかと言うと、それもそうとも言えません。それは、結局のところやはりその人の考えということですね。
遠藤 塾の役割の一つに「サポート」という言葉を使われましたが、普通部が中学受験塾に期待することなどはありますでしょうか。
能條 一言で言いますと、普通の塾というのが一生懸命やられているのは、ある意味で教養を身につけることではなくて、受験勉強だということです。つまり、偏差値をあげていくということですね。しかし、普通部の問題を見て頂くと分かるように、それだけではなく、やはり教養がないと普通部には入れないのではと思います。ですから、日頃から色々な物を観察したり、色々な物を読んでいたり、そうしていかないと厳しいと思います。そういった意味のサポートを塾がするのは可能なのではないかと思います。
遠藤 そうですね。我々も通り一遍の受験勉強だけになってしまわないよう参考にさせていただきたいと思います。話は少し変わりますが、我々のような小規模塾がインタビューをさせていただくということが今まであまり事例になかったようですが、この度、学習教室キートスのインタビューをお受けいただいた理由をお聞かせいただけますでしょうか。
能條 塾に対する大きい小さいというようなこだわりは、私を含めた普通部の中にはありません。そういう偏見は一切ないということですね。ただ、そうは言っても、その中でも卒業生は大事にする学校であるということです。ですから、やはり卒業生のアポイントに対して無下に断るということは出来ませんし、理由がきちんとしている以上、それに対してはきちんと応えるというのが普通部としてのスタンスです。
本流があってそこに支流が流れ込んでくる
遠藤 慶應義塾は中学・高校・大学というそれぞれの段階で新しい生徒達を募集していらっしゃいますね。普通部においても幼稚舎から来る生徒と普通部を受験して入ってくる生徒がいますが、両者にはどのような違いがあるのでしょうか。
能條 やはり受験で入ってきた子達というのは偏差値が高いという意味で頭が良いと思います。ですから、数学をやっても国語をやっても出来ます。逆に、幼稚舎から入ってきた子達には教養があります。ここが大きな違いだと思います。幼稚舎から入ってきた子達はその分受験勉強をしてきていませんから、正直申しまして基礎力に関しては比較すると弱いでしょう。しかし、幼稚舎組は一年ぐらいの時に努力して基礎力を身につけています。受験して普通部に来た子達は、全部が全部ではないですが、ある意味で凄いことが出来る幼稚舎からの子達を見て驚いています。それがお互いに入り混じるのが夏休みぐらいまでで、そういう意味ではどっちがどっちということは言えません。
遠藤 私は大学から慶應義塾に入りました。その当時、言葉では表現しづらいですが、内部生との違いを感じていた記憶があります。普通部の中ではそれが上手く渾然一体となった良い環境となっているのだろうと思います。
能條 そうですね。普通部の場合には、全部を受験だけでやっていたら、こういう面白い学校にはならないと思っています。また、幼稚舎だけでやっていたら、ある意味の学力がキープ出来ないのではという面もあります。ですから、そういう意味で今は両者に非常に感謝しています。
もし、普通部が受験だけできていて、しかも大学にストレートで行けてしまったら、きっと真の意味の勉強をしなくなってしまうのではないでしょうか。そして、教養も身につけなくなってしまうのではないでしょうか。そういう意味では幼稚舎からの子達とお互いを刺激し合っている面があるのだと感じています。
遠藤 そうしますと、高校からの募集を打ち切る私立一貫校も出てきている中、慶應義塾に関して言うならば、高校受験というのもまた大事な位置づけになってくるということでしょうか。
能條 はい。他の学校はあまりそういうことをしていないと思いますが、先ほど遠藤さんがおっしゃられたように、いつも本流があってそこに支流が流れ込んでくるということが、慶應義塾の血を新しくしている一番のポイントなのだと思います。
慶應=お金持ち?
遠藤 高い教育水準を維持するためにお金をかけていらっしゃるところがあるからか、普通部のみならず、慶應義塾には「お金持ち」というイメージを持つ方が多いようですが、そのことについてはどのようにお考えでしょうか。
能條 お金持ちというイメージは、どのように捉えるかというのが難しいのですが、おっしゃる通り正直申しまして、ある程度の教育を行うにあたっては、どうしてもそれだけの授業料などが必要となってしまいます。ですから、それをお金持ちと言われてしまうと非常に困ってしまう点なんですが、お金の無い人には普通部合格はないのかというとそんなことはないですから、難しいところなんですね。
普通部は、今現在一学年240名規模の学校であり、全体的には700名以上の生徒がいる学校なのですが、先ほどお話しましたように専門の講師陣を多く雇用している点などから、教員及びスタッフの数は100名以上となっております。すると、やはり我々の提供したい教育を行う上では、どうしても高い授業料にならざるを得ないところがあります。
遠藤 教育の質を落とすことなく、また逆にそういった点を手厚く取り組んでいくということが普通部の伝統であるということを考えると、確かに難しい点ですね。
能條 そうですね。それが、いわゆるイギリスのパブリックスクールの流れであり、この観点から教育の質を下げて低い授業料で行うということは、逆に論議にはならない部分なのです。正直申しまして、ある程度無理して来て頂いている方も実際にはいると思います。例えば、祖父母の方々にお金を出してもらっているようなご家庭などです。それは我々も十分分かっていることなのですが、それぞれのご家庭に合わせた教育水準にするのではなく、普通部としての教育の水準を維持していかなければなりません。ですから、その点を周りからどのように思われているかというのは少し厳しいところなのです。しかし、少なくとも普通部に通っている子供達の中では、あんまりそういったお金持ちとかいう気持ちはないのではないかと思います。
遠藤 同じような言葉に慶應ボーイという言葉がありますが、やはりこれも悪い意味で捉えてしまうと、お金持ちのお坊ちゃんという言葉で捉えられてしまうということと同じですね。
能條 はい。ですから私的に思うところとして、お金持ちということではなく、保護者の方々が少し無理をしてでもご子息をこの学校に入れる意味を見出していただけていると思っております。そして、それぞれの方の現状や置かれた立場などを踏まえたうえで皆様頑張られているのだと思います。ですから、そういうのは格差や差別といった類のものとは少し違うという風に思います。
遠藤 そうなりますと、奨学金なども色々あるような大学とは少し役割が違うということですね。
能條 そうですね。この点も非常に難しい質問ですが、普通部に関して言えば、義務教育の中でも教養を身につけたいという方々を募集しているようなイメージです。そんな中でも少しずつですが、色々な育英資金などの奨学金は結構取り入れてきています。例えば、林間学校なども負担になると思いますから、育英資金のような形で今は色々考えようと取り組んでおります。
普通部の入試
遠藤 他の多くの私立中学が筆記試験を行なってすぐの翌日などに結果を出している中、普通部を含めた慶應義塾中学は面接や体育の実技といった試験もあり、その分合格発表に時間がかかっています。そのあたりを伝統的に続けていらっしゃるのには何か意図が隠されているのでしょうか。
能條 普通部の場合は受験校ではないですから、やはり総合的なバランスで判断しなければならないと考えています。普通部がもし受験校でしたら、遠藤さんがおっしゃるようにすぐに入試結果は出ると思います。それは単純に点数で上から合格を出していくという作業になるからです。ですが普通部の場合にはそうではないですから、入学してからの資質ですとかがやはり問題になってきます。ですから、やはり色々な面接の点ですとか、体育の点ですとかを考慮する必要があります。基本としては正直申しまして成績での判断です。ただ、それに色々付加する学校から送られてくる資料ですとか、面接で当人とお会いした時のこと、そういうことってあるものですよね。現在の競争率が約4~5倍ですから、かなりの方々に受験していただいております。それを様々な面から全て検討していくわけですから、どうしても結局時間がかかってしまうんです。もちろん普通部としましても、もっと早く結果を出せればという風には考えております。
遠藤 少々お答えづらい質問かと思いますが、漠然としたもので構いませんので面接で特に見られている点や受験生の中に見出そうとしていらっしゃる点があればお聞かせください。
能條 一番はここでやっていけるかどうかの資質です。やはりそういうものってありますよね。人間としての資質といいますか。教養が高そうかなというところでしょうか。これはお話させていただくと顔に表れてしまうことです。
それから、子供らしいということですね。ある意味でこういった面接に関して塾からは指導がなくても良いのかなとも思います。逆に指導という形ではなく、情報を流してあげるのが良いのかもしれません。例えば、普通部という学校は日頃から色々な教養を身につけていないと難しい学校だよといったことなどです。また、特にご理解頂きたいこととして、普通部という学校は言葉の揚げ足取りはしない学校だということです。面接時にきちんとできなかったから落ちてしまったとかそういうことはいたしません。どうしても子供らしいがゆえに、間違った発言をしてしまうことはあると思っています。それでも一朝一夕には身につかない日頃からの礼儀正しさですとか、教養というものは分かるものですから、これは時間をかけて教えてあげないと難しいことですね。
第2部 慶應義塾普通部部長の能條先生ってどんな人?
能條先生の目を通した子供たち
遠藤 「学力低下」・「我慢できない子供たち」などといったことが叫ばれる昨今ですが、部長になられた今でも教壇に立たれている能條先生の目には、現代社会を生きる子供たちはどのように映りますか。また、子供たちは昔と変わってきていると感じますか。
能條 まず授業の件に関してですが、福澤先生の教えに基づいて、慶應義塾の中の校長先生というのは私に限らず、必ず授業をやっています。例えば、私は中学の教師ですから中学の授業をやっていますが、安西塾長にしてもゼミを持っていますから。つまり、慶應義塾の中の校長先生は、常に現役じゃないといけないということですね。次に、最近の子供達のことについてですが、正直申しまして、おかげさまで 普通部に来ている子達はあまり変わっていないと思います。他の学校には申し訳ないことなのかもしれませんが、やはりそれなりの常識がある子がいるし、そんなにひどいことも起きていません。ですから、私が長年見ていてもそんなにひどく変わっているとは思いません。ただ一つ言えることは、これは社会全般的な動きですが、幼稚化現象だけは免れないものなのかなとも思います。例えば、昔でしたら3年生だったら流石だなというような大人っぽい子の数に関しては少なくなっているかもしれません。これは、世界全体で言えるのではないでしょうか。そんな中でも、普通部に来ている子達はやはりあんまり変わっていないという印象ですね。
遠藤 それは逆にどうしてなのでしょうか。もちろん選抜の段階で篩に掛けられているという点もあるかと思いますが、単に情報化社会で力が強くなったメディアによって学力低下が叫ばれているだけなのか。本当に子供たちに何かが起こっているのか。社会が変化している中で子供たちも変わって見えているだけなのか。普通部の中でそれが変わっていないのであれば、他の学校に「変わった子供たち」が流れているのでしょうか。
能條 一つは保護者の学校に対するイメージのようなものがあるのではないでしょうか。普通部の場合には普通部の伝統というものが確固としてあるものですから、先ほどの話ではないですが、普通部のイメージに合わせて入られる方が多いので、そんなに大きくぶれてしまう保護者はいらっしゃらないのではと思います。ですから、保護者もそこに合わせてくれているというような型があります。同時に、それが伝統なのかなという気もしています。
子供が好き
遠藤 一教育見習い物としてお尋ねしたいのですが、能條先生は教師としての資質にはどのようなものが必要であるとお考えでしょうか。
能條 私としましては、まず子供が好きなことですね。そして、子供といるとエネルギーをもらえる人。ですから、子供といて疲れてしまう人は教師にはならない方が良いと思います。特に小学・中学段階ではですね。逆に高校・大学は専門を教えることに喜びを持てる人が多くいらっしゃって良いのではないかと思います。しかし、小学校、中学校に関しては子供からエネルギーをもらわないと疲れてしまいますから、子供と一緒に「キャッキャ」やっていても平気な人でないとダメだと思います。これはもう絶対ですね。
遠藤 すると普通部には「キャッキャ」言ってくるような生徒は多いのでしょうか。
能條 そうですね、結構おりますね。あと、子供と一緒にいて子供をからかって逃げてしまうような教師も結構います。ちょっかいを出すと言うのでしょうか、そういうお茶目な人は多いと思いますが、やはりそういうのも教師の資質なのだと思います。裏を返せば面倒見が良いということですから。
遠藤 キートスという塾は現在、個別指導・少人数指導が中心となっています。そのためか、時として生徒たちに元気がなかったりすることを感じてしまうことがあり、逆にこちらが元気をあげなければと思ったりすることもあるのですが。
能條 子供って意外とバイタリティがありますから、何もこちらから働きかけなくても、信頼関係ができてくるとなんとなく向こうの方からきますよね。ですから、それを待ってあげないといけないと思います。あまり押し付けると、シャイな子なんかは逃げてしまいますよね。確かに低迷している子にはっぱをかけるというのは必要なことなのですが、でも自分をその子と置き換えてみると分かると思いますが、やっぱりその子ははっぱかけられるより、慰めてもらいたいのかもしれないし、ただ何か言ってくれるだけでも良いのかもしれません。その辺を意識しないと逆に嫌になっちゃう子もいますよね。だから先ほどちょっかいを出すと申しましたが、ちょっかいを出されたら嫌な子も中にはいますよね。そういう子にはやっぱりちょっかいは出してはいけない。だからそれは教師も見ていますし、出されたい子には出すけど、待ってあげることもまた大事ですよね。
思い出の一冊
遠藤 最後になりますが能條先生の愛読書を教えていただけないでしょうか。
能條 愛読書というわけではありませんが、私が普通部に赴任した当初、図書室でユングの『人間と象徴』を何気なく手にしたんです。普通部ではユングの授業はしていませんし、まさかこんな本を読んでいる子はいないだろうなと思って、貸し出し履歴を見てみたんです。そうしたら、子供達の名前がズラっとあって。「普通部って凄い学校だな」ってその時感じたことを今でも覚えています。ですから、私にとってこの本は思い出といいますか、今でも忘れられない一冊になっていますね。