2022年1月31日

2022年1月31日

今年もまたこの日がやって来ました。
もはや「日記」でも何物でもありませんが、
せめて毎年この日くらいは、一年を振り返り、愛しの中学受験生のことを想う日にしたいと思っています。

新型コロナウイルスの感染、一時は収束に向かうかと思われましたが、
今年もまた爆発的感染拡大の最中での受験シーズンとなってしまいました。
受験生当人たちはもちろんのこと、傍で見守られておられるご家族の皆様にとっても、
本当に気が抜けない日々が続いていることとお察しします。
各校で様々な対応をしてくださるそうですが、もうひと息です。
「大変な受験だったよね」と笑って話せる日の来ることを、今はただお祈りしております。

さて、今日は少し「キートスに通う子たちの特性」について綴っておきたいと思います。
キートスは個別指導という形態上、年によって受験生の数にも偏りがあったりするのですが、
今年は中学受験生(小学6年生)と高校受験生(中学3年生)と大学受験生(高校3年生)が互いに仲良く、
共に励まし合ってくれていたように感じました。
歳も違えば、境遇も学習科目も当然ながら異なります。
休憩中、学習のこと、志望校のことを何やら真剣に語り合っていたかと思えば、
他愛もないYouTube動画のことなどで、マスク越しではありますが盛り上がっていたりもしていました。
この規模だからこそ起こり得ることなのかもしれませんが、
キートスに通う子たちが、学年の拘りなく共に仲が良いのは確かな「文化」として存在します。
客観的に見て、小学生と高校生が談笑し合う光景は、本当に微笑ましいものです。
彼らに言わせれば、「だって他に話し相手がいないから」ということにもなるのかもしれませんが、
実に様々な境遇の彼ら・彼女らに、唯一の共通因数があるとすれば、
それはやはりどの子も「良い子」なのだろうと思います。

「競争社会」という言葉こそ、ここ数年はあまり聞かなくなったようにも思えますが、
やはりこの日本社会には、どの局面においてもそれは根強く残っているように感じます。
「競争」そのものを否定も肯定もする気はありませんが、
どうもキートスには「他の子を蹴落としてやろう」などという思いなど微塵も持っていないような子たちばかりが集まっているように思えます。

誰かが筆記用具を忘れて来れば、自分の筆箱の中から「第一レギュラー」のシャーペンと消しゴムを貸してあげ、
自分は壊れかけのシャーペンと残りかすのような消しゴムを使う子。
学年も学校も違うのに、「今日一緒に帰れる?下で待ってるね」と言って駅までの数歩を一緒に帰ろうとする子。
下の学年の子の出来や学習内容に、何の躊躇いもなく「すげー」と言う子。
漢字などの暗記物を自宅でやる際、「家でやらされる」ではなく「お母さんが手伝ってくれるから」と言う子。
私の動画に「今回も神授業でした」と言う子。(笑)
何度も同じ間違えをしてしまい、人目も憚らず悔し泣きをする子。
どんなに私に叱られても、翌日には「こんにちはー!」と元気良く教室に入って来る子。

例外なくどの子も、本当に可愛いのです。
だからこそ、どの子も安心して心から仲良く出来るのかもしれません。
彼らを見ていると、この世に悪など存在しないのではないかと思えてなりません。

キートスで昼食・夕食を取る子も多くいます。
行儀が悪いとお咎めがあるかもしれませんが、
彼らは食事中、各々持参した本を読んでいたり、教室にある歴史マンガを読んでいたりします。
もちろんテキストや参考書を読む子もいます。
受験生たちにとって、読書をする時間も満足に取れなかったりするのが常です。
それが何よりの国語の学習であるにも関わらず。
この「文化」の良さを知った私までが、お弁当を食べながら必死にテストの解き直しをやっている子に、
「そんなの後でいいから、今は食べながら本を読みなさい」と言ってしまうほどです。
これもまたマナーとしても通行中の安全面からも褒められたものではないのかもしれませんが、
キートスへ来る道中、歩きながら本を読んでいる子を教室の外で見かけたり、
少し早めに来て、座ることも忘れたかのようにカバンから本を取り出し、立ったまま読んでいる子を見るにつけ、私には愛おしく素敵な光景に思えてなりません。
休憩中すぐにスマホを開いたり、歩きスマホをしてしまったりする我々大人も、彼らの姿を見習うべきなのかもしれません。

そんな「人に優しく、自分に厳しく」を地で行っているような子たちとも、別れの時はやって来ます。
今はただ、「彼らに何かをしてあげられただろうか」といった想いよりも、
「彼らに出会えて良かった」という想いの方が強くあります。
生徒たちにはよく笑い話として話すことがあります。
私は今いる子に限らず、かつての生徒たちの顔や名前・性格などは鮮明に覚えているのですが、
大切な想い出となるようなエピソードをよく忘れてしまいます。
いわゆる「欠陥人間」です。
その代わりとして、その子たちとの日々は、どんなに苦しく大変なものであったとしても、
ほぼ例外なく美化され、私にとっては全てが「良き想い出」に変わります。
この子たちとの今のこの一瞬一瞬を忘れたくないな、とは常々思うのですが、
どこかで「人間の脳は毎日生まれ変わる」と読んだこともあるような気がします。
忘れることを嘆くのではなく、覚えているその奇跡に感謝しようと思います。

今年の受験生たちには「メール講座」の方で最後のメッセージを送りましたので、
今年はここではそれを割愛したいと思います。
ですが、やはり一言だけ。

今日までありがとう。
明日から始まる君たちの人生の門出において、
最高の笑顔が待っていることを祈っています。
君たちと出会えたこの奇跡に感謝しています。
また会おうね。
健闘を心から祈っています。

2022年(令和4年)1月31日
学習教室キートス
遠藤佳映