「今」

「今」

キートスには中学受験が終わってからも毎週コンスタントに教室に通ってくれる生徒が多くいます。
とある中学生の日常を聞いてみました。
朝は5時過ぎに起床。
学校で部活の朝練。
学校の休憩時間は授業の予習や宿題をするか、
友達とお話しないと少し仮眠。
放課後は週4~5で部活。
部活が終わったら真っ直ぐ帰宅。
帰宅後は学校の宿題。
部活の無い日は真っ直ぐ帰宅後、睡眠。
週末も部活。
友達と遊びに行くこともあるが、
疲れが溜まっていることもあり、
家では寝てしまうことが多いとのこと。
んー、なんとも…。
もちろん、学校は楽しいそうで、
部活に勉強にと、日々忙しく充実はしているようです。

さて、ここで私の武勇伝などを書くつもりもありませんが、
最近の中高生は本当に忙しそうです。
中学受験で頑張って勉強して、
中学に入学して頑張って勉強して部活もして、
高校に進学して頑張って勉強して部活もして、
さあ大学受験。
少々大袈裟かもしれませんが、
この子たちはいつ遊んでいるのでしょうか…。
部活を遊びだと思えるならそれもまた素晴らしいことだと思います。
昨今、嫌な事件なども多いため、
学校側としても下校途中の寄り道などを禁止していたりもします。
特に東京は誘惑や危険がそこら中に溢れていたりもします。
生きづらい世の中・社会なのかもしれません。

もちろん学生の本分は勉学です。
社会に出たら、いくらだって自分の好きなことが出来る。
社会に出たら、いくらだって遊べる。
確かにそうだろうと思います。
私の母親もかつて言っていたこともありますが、
「なにも、遊ばせるために中高一貫校に通わせた訳ではない」と。
その通りだと思います。

敢えて誤解を恐れずに今の私の想いを綴っておくならば、
人の一生には「局面」があると思っています。
メリハリとでも言うべきなのでしょうか。
その「局面」で最大限の努力をし、
最大限の力を発揮するためには、
それに耐えうる「余力」を残しておくことも時として必要なのではないか。
充電することも時として必要なのではないか。
立場上、私がこんなことを言うべきではないのかもしれませんが、
今がその「局面」ではない時期の子供たちには、
「今しか出来ないこと」
「今やっておかなければならないこと」
だけに注力してもらっています。
言葉は悪いかもしれませんが、「最低限の学習」です。

中学受験を考えても同じことが言えると思います。
最近は4年生から本格的な受験カリキュラムが始まります。
ですが、4年生からフルパワーで勉強して行ったのでは、
入試本番まで持つはずがありません。
よく保護者の方々との面談の時にもお話するのですが、
私に出来ることは、
「如何に無駄を省いてあげられるか」を考えることだと思っています。
何もかもを無駄なく効率良く進められるとも思っていませんが、
来る「局面」に備えて、
今は「今しか出来ないこと」だけにして敢えて力を抑えておく。
その子その子が持っているキャパシティーにも因るとは思いますが、
そういう意味での「ゆとり」も必要なのではないでしょうか。
習い事だって続けて欲しい。
おうちのお手伝いだってして欲しい。
友達と遊びに行って来て欲しい。
家族で出掛けたり、テレビを見て談笑することだってして欲しい。
進学塾が提案するカリキュラムに則って行かないと受験に失敗する訳ではありません。
もっと言うならば、「失敗」って何でしょうか。
物事には段階があり、優先順位もあります。
全て出来るに越したことはありませんが、
「果たしてそれは今やるべきことなのか」
と周囲の大人がケアしてあげることも必要であろうと思います。

繰り返しになりますが、
学生の本分は勉強です。
が、せっかくの青春時代。
それは、
勉強の時間であり、
部活動の時間であり、
友達との時間であり、
恋愛の時間であり、
家族との時間でもあろうと思います。
過ぎ去った時間は二度と返って来ません。
「将来に備えて」と考えることも大切ですが、
子供たちにはどうか「今」を存分に生きて欲しいと思います。